鼻歌は雑音になる
皆さんは鼻歌を歌ったことがありますか。
国語辞書によると、鼻歌は
「鼻にかかった小声で歌う歌。気分のよいときなどに,口をとじたまま小声で歌う歌」
と定義されています。
ある小学生が、鼻歌を歌いながら勉強をしていました。私は、用事があって5m先のコピー機で作業をしたのですが、小学生の歌う鼻歌がここまで良く聞こえたのです。
すぐ近くで別の小学生たちが勉強をしていたので、当然ながらその子どもたちにも鼻歌は聞こえていました。
おそらく
「うるさいな」
と思っていた事でしょう。
鼻歌を歌っていた小学生に対して、私はどのようにやめさせようかなと考えていました。単純に「うるさいよ」と注意することもできましたが、これであれば誰でもできることですし、「うるさい」と注意したところで、本人に対して感情的な影響しか与えないと思ったのです。
私は冷静に考えました。
コピー機での作業が終わって、その小学生の所に戻った時の第一声を
「なんで5m先の場所にいても鼻歌が聞こえてくるの?」
と小学生へ問いかけるようにかけたのです。
本来、鼻歌というものは、口を閉じたまま鼻にかけて小声で歌うものですから、5m先の作業場まで聞こえないはず。つまり、それが聞こえる時点で鼻歌ではないのです。
歌っている本人にしてみれば、自分が歌う鼻歌は心地よいものでしょう。しかし、他人からすれば、ただの雑音にすぎないのです。
「鼻歌は他人からすればただの雑音」
とその小学生には、喜怒哀楽といった感情を出さずに平板で伝えました。本人もきょとんとしながら、私の話に耳を傾けます。
机の上には国語辞書がありましたので、その小学生には「鼻歌」と「雑音」を国語辞書で調べてもらいました。
ちなみに、雑音は色々意味があって、そのうちの
「不規則で不愉快に感じられる音。うるさい音」
が適切でしたので、本人にも伝えました。
自分にとって心地よいものかもしれないことが、他人にしてみれば迷惑なことは日常生活においてもたくさんあることでしょう。
「うるさい」「きちんとしなさい」
と大人が感情的になって怒ったとしても、子どもたちには負の感情しか伝わりません。言い換えれば、子どもたちの自己肯定感を下げる危険性があります。
置かれている状況を的確に把握して、その場に合った言葉やメッセージを出していく事。
大人は、子どもたち以上に様々なことを経験しているはずですから、状況を察知し、経験値を当てはめながら、子どもたちへ正しく伝えることが重要となります。
これはスポーツにおいても同じことで、
「ちゃんとやれ」
と叱るのは簡単なことです。
どのようにプレーをすればよいのか、どのように判断をしていけばよいのか。
これはスポーツ、学習といったジャンルに関係なく、大切ななことになります。
様々なことを想定しながら、決して感情的にはならずに、言葉が持つ意味を考えながら、伝えてみてください。
子どもたちもきっと自分で意識して言動や行動を進める事でしょう。